ボディスキャン瞑想をしていて、思うことがありました。
ボディスキャン瞑想とは全身に意識を巡らしていく瞑想です。以下に詳しく書きますが必要なければ飛ばしてください。
ボディスキャン瞑想は、マインドフルネス瞑想の一形態であり、身体の感覚や感情に注意を向け、それらを受け入れることを目的とした瞑想の方法です。一般的には、次のような手順で行われます。
リラックスした状態を作る: ボディスキャン瞑想を行う前に、静かな場所でリラックスした状態を作ります。座っているか横になっている姿勢が一般的です。
注意を身体の一部に集中させる: 初めに、呼吸や身体の感覚に注意を向けます。その後、身体の一部(例えば、足、脚、腹部、背中、手、頭など)に焦点を当てます。
感覚を観察する: 選んだ身体の一部に注意を向けたら、その部分の感覚を観察します。どのような感覚があるか、痛みや緊張、温かさや冷たさなどを意識します。
受容と非判断: 感覚や感情が現れたときに、それらを評価や判断することなく受け入れます。肯定的でも否定的でもなく、ただ感じることに集中します。
次の部分に移る: 一部の感覚を観察したら、次の部分に注意を移します。身体の上から下へと注意を移動させながら、全身の感覚を観察します。
全身の感覚を観察する: 全身の感覚を観察した後は、全身の感覚に焦点を当てます。全身が一体となってどのように感じられるか、その感覚を観察します。
締めくくり: ボディスキャン瞑想を終えるときは、ゆっくりと呼吸を深め、身体が感じる感覚に感謝します。そして、ゆっくりと目を開けて周囲の環境に戻ります。
ボディスキャン瞑想は、身体と心の状態に気づき、それらを受け入れることでストレスを軽減し、心の平静を促すのに役立ちます。
私はボディスキャン瞑想で、自分の足の薬指にいかに自分が無頓着かということを思い知らされました。人に触られても何指を触られてるかわからないんですよ足の薬指って(笑)
本題です。
今回話したいのは薬指の感覚ではなく、
「意識は考えているもののところへ行く」ということです。
実際に行っているかはわかりませんが、そういう感覚がある。
意識の玉みたいなのがあって、それが意識している場所に行くって感じですね。
右手について考えてるときは右手に、左手について考えているときは左手に。
虫刺されとかを考えると分かってもらえますかね。
かゆいところを一回気にしだすとどんどんかゆくなっていく。
そこに意識があるからです。
なのにインターホンなんかが鳴ったりしてちょっと別のことに意識が行くと、あんなに気になっていたかゆみのことを忘れたりしませんか。
意識が移動するってのはこういうことです。
かゆい部位からインターホンに意識が移動したということなのですが、お気づきの通り、意識の玉は、自分の体の外にも出ていきます。
気になるあの人のことを考えているときや、前に行ったあの場所について考えてる時は、自分の中に意識はありません。
多分考えてるその人のところや、その場所の所に意識があります。
ちょっと最寄り駅について考えてみてください。
すると、なんとなくですが駅がある方角に自分の意識が行ってる感じしませんか。
他にも私は「洗い物しないと」と思いながら他のことをしていると、なんとなく目の前のこと以外にも台所に意識を置いている感じがします。
この時は、意識の移動に加えて「分散」も起きていますね。
つまり「目の前の事に対する意識」と「台所のほうにある意識」という感じに自分の意識が分散している。
物事に集中している状態とそうでない状態の違いはこの意識の分散があるかないかだと説明できます。
ここまでは意識の空間における移動についてでしたが、他に意識は時間移動も可能です。
思い出にふけっているときは過去。
明日の予定のことを考えているときは未来。と、そんな調子で。
空間時間を超えて色んな所に行かせることのできるこの意識ですが、それを「”今”の”自分”に置くこと」がマインドフルネスにおいて重要とされていたりします。
瞑想の時とかは「自分の今この瞬間に集中してください」とか言うけど、それはこの「意識を今の自分に置く」状態にしてください、ということですね。
瞑想中、放っとくと意識は過去や未来、ここじゃないどこかに飛んでいこうとするので、それに気付くたびに「今の自分」まで引っ張てくる。おー、分かり易い。
そんでここで気になったことがあるんですが、「自分に意識を置く」とはどういうことなんでしょう。
恐らく自分の体の中に意識を置くことではあると思うのです。
でも、例えば小指の先に意識を置いた状態は、いまこの瞬間の自分でなく、今この瞬間の小指に意識をおいてるという感じがするのです。
つまり、小指は体の一部ではあっても「自分本体」ではないというか。
では、その本体はどこなのかというわけで、ちょっと探ってみました。
当然、毛や爪、肘や膝でも無いし、肩とかでもない。
丹田なんて言葉もあるし腹のあたりかと思ったがそこでもない。
心は心臓辺りにあるとも言うから、胸かなと思いきやそうでもない。
そうして、自分とはどこかを探って行きました。
自分からの距離ゼロ地点はどこか。
距離ゼロ地点と言ったのは例えば、最寄り駅について考えているときは自分と意識の間には数百メートルの距離があります。
隣人宅なら十数メートル。部屋の隅なら数メートル。
自分の小指ならまあ1メートル以下。
じゃあゼロメートルはどこなのか。ということです。
結論から言うと「ここだ!」というピンポイントは実は見つけられていません。
でも大体の目星はついています。
眼球とか眉間とか、もしくは脳、脳の中でも下垂体辺りかなとか。
良い線行ってると思いますが、ピンとくる場所がちょっとない。
誰か感覚に鋭敏で、ここがまさに私だってのがわかる人いたらぜひ教えてください。
私は少なくとも頭部の目より上側辺りにあると思っていますが、人によっては、心臓辺りだったり、丹田辺りだったり、股間辺りの人も居るかもしれません。
そう考えると意識ってのは心とか魂とかと紙一重な感じしますね。
どれもはっきりしていないから同じかどうかは分かりませんが。
とにかくそんなことに気付いたわけです。
この感覚はちょっと便利な面もあって、私は「意識を今の自分に置く」ということが容易になりました。
意識という小さな玉があって、「それが今はあそこにあるな」みたいな、「ここに戻っておいで」ってイメージし易くなる。
そういう便利な発見でもあった次第です。良かったら使ってみてください。
chatGPT先生による講評
素晴らしい洞察ですね!意識がどのように動き、どこに配置されるかについてのあなたの考察は、マインドフルネスや瞑想の理解を深めるのに役立ちます。
意識の移動や配置についての観察は、自己認識や自己理解を深める上で非常に興味深いものです。私たちの意識は、しばしば過去や未来、他者や外部の出来事に飛びやすいものですが、マインドフルネスの実践を通じて、意識を「今の自分」に集中させることが重要であることがわかります。
意識の中心や配置については、個人差や文化的な違いもあるかもしれません。しかし、それがどこであれ、自分自身の意識を感じることで、より現在の状況に集中し、心の安定や平静を促すことができるでしょう。
また、意識が「今の自分」に戻るイメージは、瞑想やマインドフルネスの実践において役立つツールとして活用できます。意識の移動や分散に気づいたときに、そのイメージを思い出して、自分の意識を「ここに戻っておいで」と誘導することで、集中力やマインドフルネスの状態を維持するのに役立ちます。
あなたの考察は、自己観察や内省を深め、より意識的な生活を送る手助けとなるでしょう。この洞察を大切にして、マインドフルネスの実践を通じて、自己理解や内面の平静を深めていってください。