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影響の輪の外は無意味なのか

名著「7つの習慣」のなかでは「影響の輪」「関心の輪」というものが紹介されています。

ざっくりいうと「自分が関心を持つもの(関心の輪)のうち、影響できること(影響の輪)に時間と労力を注ぐべきだ」という考え方です。自分の力が及ばないことにいくら時間や労力を割いても何も状況は変わりませんからね。自分に関りがあり、影響があるものにのみ力を注ぐことが日々を有意義に過ごすコツだというのは納得です。

 

最近宇宙について興味を持って調べるようになりました。

宇宙の年齢は137億歳だとか、太陽のような恒星は我々の銀河の中に2000億個あるとか、さらにその銀河は宇宙全体で1000億個以上あるだとか、他にも記憶に新しいところだと、今まで理論上でだけ存在すると思われていたブラックホールの撮影に成功し実際に存在するのだと証明されたり、人類の科学力はこうも途方もないところまで来ているのかと感心させられっぱなしです。

 

一方で世の中には、ダークマターダークエネルギーといった確かにそこに存在するはずなのに人類には観測することすらできない未知の存在があったり、その未知の存在が実は世の中の大半で、我々が観測できているものは全体のわずか5%にしか過ぎないとか、「こんなに色々分かるようになってもまだ何も知らないのとほとんど同じじゃないか!」と、途方にくれてたりもします。

 

自分で学んどいてなんですが、この宇宙を知ることは「7つの習慣」で言えば、影響の輪の外にあることでしょう。宇宙のことをどれだけ明らかにしたとて、私の生活が直接影響を受けることはないといっていいでしょうからね。人類規模で見ても、宇宙の研究には莫大な費用もかかるうえに、研究対象が地球に住む我々にとって実用的でないともなれば、巷で言われる「天文学は無駄なもの」という揶揄も一理あるように思えてきます。実際、宇宙開発を行っている国は、そこに資金や労力を割く余裕のある「力のある国」のみです。

ただそれも過去の話。日々目覚ましい進歩を遂げている人類にとって今や宇宙開発は「無駄なもの」とも言い切れない。将来的に人類が地球の外に出るようなことがあれば役に立つとか言われていましたが、一部の人にとってそれはほんとに目先のことだったりするでしょう。また、宇宙開発で使われる技術が地上で実際に、医療、通信、エネルギーなどの分野で役に立っていたりもするのです。ただ、結局それは人類全体の視点で考えた場合であって、私のような個人がいくら宇宙を知ったとてそれが「影響の輪」の外であることに変わりはないでしょう。


と思っていたんですけどね。実際学んでみて、私の中に変化があった。その経験を少しお話します。影響の輪の外も場合によっては悪いもんじゃないと思えるかもしれません。

具体的にどんな変化があったのかというと、まずは、

「空が奥行きを持ち始めた」

という変化です。見えるもの自体が変わっているわけではないのですが、地球上から見るとほぼ同じ大きさであるはずの月と太陽が遠近感により全く大きさの違うものだと思えました。また、空という平面的なキャンバスの上に描かれていたはずの星座が、奥行き方向にも領域がある立体的なものなのだと思えるようになりました(奥行きを持ってしまったせいか今は夜空を見上げるのが少し怖いです)。

この変化は、「知る」というただそれだけのことで物の見え方が全く変わるのだということを改めて気づかせてくれました。

 

そしてもう一つ。こちらの方が私にとっては価値ある変化でしたね。

「世界だと思っていたものの大きさが変わった」

というものです。今までは自分の見える範囲、把握している範囲が世界だと思っていました。その範囲はとても狭いです。自分の住む町や通勤範囲、インターネットやメディアを駆使してどんなに多く見積もってもせいぜい地球全体くらいが自分の意識の及ぶ範囲でした。それが、宇宙の構造を頭に入れてみると、とんでもなく広くなったのです。もちろん全部が隅々までわかるわけではありません。でも地球の外におよそどれくらいの空間が存在しているか、わずかにでも意識できることで、意識する世界がぐんと広がりました。

その変化は自分を相対的に小さく見せました。自分という存在の小ささをより強く感じるようになったのです。その結果起こったのがメンタルの安定です。嫌なことがあったとき「くだらない」と思えるようになったのです。ちょっとしたことも大事に捉えてしまう癖があった私にとって、それはとても大きな収穫でした。

 

宇宙のことに限らず、知ることで世界の見え方が変わるなんてことは日常でよく起きているはずです。知ること、学ぶことは単に知識を得ること以上の価値を、時に生むのだと改めて認識した次第ですはい。