承認欲求の奴隷になってはならないと、巷ではよく言われていますね。
要は過度に他人からの承認を求める姿勢は、落胆や不安感の増幅につながるためメンタルヘルス上非常に良くないということです。他人が自分を承認するかどうかは自分ではどうにもできませんからね。期待通りにならないことが出てくる以上仕方ない。
その対策としてよく言われるのが、内的な幸福を追求しましょうということです。つまり他者を介在させない幸福の追求。自分の成長や成功を喜んだり、得意なことを発見し活かしたり、興味や好奇心を探求し満たしていくといった具合です。人に承認してもらうことの代替として、自分で自分を承認しましょうということです。
「自分で自分を承認できればそれで人は幸福なんだから、他者からの承認欲求なんて捨ててしまえ」と、そう高らかに叫ばれているのが今の世です。
でも果たして、それは真実なのでしょうか。人から承認されることなく、自分で自分を認めるだけで人は幸福になれるのでしょうか。
私も含め、承認欲求の奴隷になってはいけないと分かっていても、なぜか承認欲求に従ってしまう人が世に溢れているわけですから、必ずしも真実とは言えなそうな気になってきます。
ここで一つ話を挿入します。
何か問題を解決しようと思ったとき。おそらく方法はいくつもあるんです。それらを並列に並べていくと、一見、効果のある解決策がたくさんあるように見えるのですが、実際は効果の大きさに違いがあるわけです。問題の60%を解決する方法があったり、問題の3%しか解決できない方法があったり。そんな具合です。それらの方法の中から効果的な方法を取らなければ、結局その問題の解決は遠のき、酷ければ解決しません。
例えば「肌を健康に保ちたい」という問題を抱えているとします。
現在、肌の健康を保つために効果があるといわれている日常でできることといえば、
・適切な保湿
・紫外線対策
・レチノールの塗布
このあたりです。極端な話、この3つで肌の問題の9割は解決するでしょう。
まず実践すべきは9割を占めるこの3つであり、ほかの効果の小さいものは二の次。この3つを実践せずして効果の小さいことをいくらやっても大した改善は恐らく見られません。もしそれでもやりたいというのであれば、3つを満たした上でさらに成果を追求しようと、そう思うときにやればいいのであって、効果の小さいそれ自体が根本解決には決してならない。
「内的な幸福の追求」は、この効果の小さい解決策に当たるのではないかということです。
つまり、他者からの承認が既にある状態で、さらに幸福度を高めようと思うなら意味を成しますが、内的な幸福の追求のみでは、根本的な解決にはならないということです。
なぜそう考えられるのか。人類がそう進化してきたからです。
人類は、そもそも集団を作ることで有利にふるまい、生存してきた種族です。集団を形成しない個体は不利な状況下で消えてゆき、より集団を形成することに重きを置く個体が残り、進化してきました。つまり今生きている人類はすべて、他者との関係性に重点を置いてきた個体の末裔であり、本能レベルで他者との関係を重視するようになっているのです。ですから他者からの承認がないことを大きな問題と捉えるのも無理のないことなわけです。この問題は自分からの承認がいくらあっても解決しないでしょう。
ですからまず満たすべきは、他人からの承認欲求なのです。これを満たさないことには、我々の幸福メーターは低いままなのです。
人からの承認をもっと具体的な言葉にすると、以下の3つになります。
・意識を向けてもらう(存在を認識されたときに無視されない)
・重要だと思ってもらう(自分の大事だと思うものに興味を持ってもらえる)
・頼られる(何かあったときに、アドバイスやサポートを求められる)
結局これらは、自分の意志ではどうにもならない問題です。つまり追求しようとすればメンタルに悪影響が出ることは避けられません。ですが、これ無しには結局いつまでたっても満たされることはないのです。なんと辛いことでしょう。
でも、思い通りにならなくても、アプローチする方法はあります。それは自己研鑽を続けることです。人から価値のある存在と思ってもらえるように、自己研鑽を続ける。非常に耳の痛い話ではありますが、結局これしかないのです。
ただ救いもあります。冒頭でも述べましたが、過度な承認欲求の追求は修羅の道です。すべての人間の一挙手一投足が気になり、自分という存在が振り回され続ける。そんな状態は確かに健全とは言えません。
でも承認欲求は誰か一人でも自分を心から承認してくれる存在がいるのなら恐らく満たされます。自分が心から承認する相手に、同じように承認してもらえてさえいればよいのです。
そこをまずは満たすために、自己研鑽はもちろん重要なんですが、自分が大事にしたいと思っている人を大事にすることから始めてみようと思ったりなんかしちゃっている今日この頃です。