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「自分はちっぽけだ」と思えるほどいい

自分を矮小化させること、つまり「自分をちっぽけな存在だ」と考えることは、生きる上で重要な考え方の一つだったりします。不安や恐怖を軽減し、ストレス耐性を強め、仮にダメージを受けても、そこからの回復力(レジリエンス)を高めてくれることが知られています。

 

ポジティブな出来事があった時は、自分をどれだけでも肥大化させていいでしょう。謙虚さを忘れない程度に「自分ってすごい」をどこまでも享受してください。

でも、ネガティブな出来事に直面したとき。このエゴが肥大化した状態だと、耐えがたいストレスを受けることになります。逃げ出したくなるし、逃げられない状況ならば壊れてしまうかもしれない。そうならないためにも自分を矮小化させる必要があるわけです。

 

矮小化には二つの選択肢があります。

 

一つは自分を責める方法。この方法は誤った方法と言えるでしょう。

 

「自分はなんてダメな人間なんだ」

「自分は能力のない人間だ」

「彼らのとって自分は取るに足りないちっぽけな存在だ」

「自分は重要な存在ではない」

 

こういった考え方です。これは自分を卑下する考え方で、「他人と比較して」自分を小さい存在だと考える方法になります。こういう考え方が、自分のメンタルの助けにならないことはわかっていただけるでしょう。

 

ではどう自分を矮小化させるのが正しいのか。

 

それは「世界と比較して」自分を小さい存在だと考える方法です。

 

「宇宙の広さと比べれば、自分の抱える問題なんてちっぽけだ」

「自分の人生なんて地球規模で見れば、45億年続いてきた営みのほんの一瞬でしかない」

「人類の長い歴史の中で見れば自分の悩みなんてきっとありきたりだし、きっと他の誰かが既に解決した悩みでもあるんだろうな」

「自然の雄大さを目の前にすると、将来の不安なんて大したことないと思える」

 

こんな調子の考えです。要は、自分をエゴから距離を置かせたり、はたまた畏敬の念に通ずる考え方だったりってことですね。仏教なんかでもこうした考え方はあると思います。

 

この考え方を取り入れる補助としてちょっと、自分について考えてみましょう。

仮に自分を田中太郎だとすると、人から見れば自分は田中家の一人なわけです。同じように日本人でもあるし、人類という括りでもある。さらにほかの動物や植物などもひっくるめれば生物でもあり、言ってしまえば地球でもある。どんどん広げていくと太陽系でも天の川銀河でも、宇宙でもあるわけです。自分の境界なんてものは実は曖昧で、その境界をどこに持ってくるかは自分次第。境界を宇宙まで広げることだって可能で、そうすることで自分という存在、営みの小ささを感じることができるのです。(ちなみにこの考え方に沿うと、他人も自分も同じ存在だったりします。それもまた人生を手助けしてくれる価値観の一つだったりするんですが、それまはまた別の機会に。)

 

「自分のミスで会社に何十億円もの損害を出してしまった」とか「自分の行動が間接的に誰かの命を奪うきっかけになってしまった」とか、そうした事案は人生の中で絶対にないとは言い切れず、むしろありふれてたりします。そういうのを自分というエゴの中だけで考えようとすると、到底抱えきれるものではありません。考え方によっていい意味で開き直る方法はまあいくつか考えられますが、その中の一つとしてかなりの有効打となりうるのがこの「自分の矮小化」というわけですね。自分という存在がちっぽけに思えれば思えるほど、何か起きた際の不安や恐怖も小さくなっていきます。宇宙のような高次の視点から自分を見るという意味ではメタ認知的な考え方にも通じますし、昨今よく言われる「畏敬の念」がメンタルにすごくいいのもまたこの効果が結構な割合を占めてたりするんでしょうな。