人の評価基準としてよく話題に上がるのが、
「有能かどうか」の能力、と
「善い人格か」の内面、です。
この2要素が満たされるとき、人は人から高い評価を得ます。
つまり「有能で優しい人」が人から好かれやすいわけです。
このことは現時点で、科学的に示されています。
片方の要素だけだとダメで、例えば、能力のない人に優しくされても、その人をあまり高くは評価しません。
同じように有能であっても冷徹な相手には好意というより警戒心が芽生えるそうです。
まあ、この辺りは自分の経験を思い返してみても、納得のいく事実でしょう。
公に出される情報では、この2軸が人の評価基準とされることが多いです。
ですが、実際にはその軸はもう一本あります。
それは「外見」です。
つまり、
- 能力
- 内面
- 外見
の3本柱が、本当の人の評価基準だということです。
この3つのステータスをそれぞれ高めていくことで、人の魅力は増し、ほかの人から重要だと思われる傾向が高くなっていきます。
これまでは、2軸だけで話を進めていてもうまく機能していました。
外見も重要ではあるにしても、例えば均等に1/3ずつのポイント制だっとして、2軸が満たせれば2/3は人に好かれる要素を満たせていることになりますからね。
実際に「有能」で「人格のある」「不細工」が人からの尊敬を集めている例は結構あります。
でも昨今は、外見の占めるポイントが少し高くなってきてます。
若者を中心にです。
ルッキズムの加速とか聞いたことないでしょうか。
要は、人を評価する上で見た目が良い事が他のことよりも重要視されるようになってきているということです。
この事態が加速していけば外見に無頓着な人間は、気づかぬうちに人から重要だと思ってもらえない存在となっていくことでしょう。
色々原因はあるようです。
まずはSNSの普及。
例えば、クラス1の美人でも、SNSの中では平凡な少女という扱いになってしまう。
昔は自分の所属するコミュニティ内の人と比べて、優劣を競っていればよかった。
ちょっと優れていればコミュニティ内の1位になれたのです。
しかしSNSの普及により、ライバルが世界中に存在するようになりました。
そこで評価を受けるには、今までの基準より遥に高い美の基準をクリアしなければならない。
ちょっと優れているくらいでは評価されなくなったのです。
美の基準が急上昇しました。
また、美しいものに触れる機会が増えた結果、皆の目も肥えました。
高級寿司の味を知って、回転寿司では満足できなくなってしまった美食家のように、美に対する鋭い審美眼を皆が持つようになったのです。
ちょっとやそっと優れていても、大した評価は得られません。
マッチングアプリとかもその一端を担っているそうです。
パートナー選びの仕方が大幅に変わったということです。
自分の交友範囲で最もイケてる人を選ぶというのが旧来のパートナー選びでした。
しかし今は、少なくとも生活圏全体、ともすれば世界中から異性を厳選して選ぶことができる時代です。
候補者の数が十数人だったのが、数百人、数千人にまで膨れ上がった。
見た目は内面や能力より先に入ってくる情報ですから、まずは見た目で評価をもらえなければ、内面や能力を見られることなく、足きりを食らいます。
まず外見を高めなければ、恋愛のスタート地点にすら立たせてもらえません。
詳しく話すともっと理詰めできますが、長くなるのでやめときます。
とにかく見た目がよくなきゃ話しにならない。そんな世界だそうです。
恐いですね。
若い子たちの間では、優しいとか思いやりがあるみたいな内面要素はとっくに価値を失っていて、今や大企業に勤めてるとか収入が高いとかの能力も「外見がいいこと」に比べると圧倒的に価値が低いそうです。
実際には3本の柱すべてが高くなければ、良好な人間関係を築くことは難しいでしょうが、それでも外見の重要度はとにかく増している。
今は若者の間だけですが、やがてそれは全世代的に波及していき、これまでのように「真面目に働いてきただけの優しい人」ではそもそも恋愛をすること自体困難になる時代が来ると予測されています。
恋愛できなくたってこれだけ多様性のある社会であれば、人生の楽しみなんていくらでもある。
そういえなくもないですが、実際は異性に相手にされない人生というのは、かなりのハードモードです。
繁殖が生物の目的である以上、異性からの承認行為というのは生まれ持ったアイデンティティを支える最も重要な要素の一つです。
遠くない未来、大半の特に男性がそういう異性に相手にされない状況に陥る。
というか既にそういう世界に足を踏み入れています。
小さいコミュニティの中で、無理やりお見合いなんかが発生していた昔と今は違います。
こうした外見を重要視する社会背景から、美に対する人々のアプローチは年々エスカレートしてきています。
少し前までは、男の脱毛やメンズメイクなんかは変わり者のすることでしたが、今は結構な割合で取り入れられています。
それどころか、それらは「最低限の身だしなみ」になりつつある。
少し前の女性の当たり前に男性の当たり前が追いつこうとしています。
となると、女性はもっと先に進んでいます。
女性のほうが「美しくあること」の得が多いですからね。
美意識が男性より高いのは当然です。
ちょっとした美容医療は当たり前。
少し前ならバレたら村八分だった整形も、今ではちょっと美意識が高い人なら当たり前です。
整形は「チート」や「親からもらったものを否定する行為」としてではなく、「持って生まれたポテンシャルを最大限高めるための行為」という捉えられ方をしています。
昔は考えられませんでしたよね。
美容先進国である韓国の人を見て「みんな整形ばっかだ」みたいに悪く言ってた時代は終わり、今ではそう言っていた日本人が成熟した韓国の美容医療をこぞって受けに行っているような状況です。
とにかく外見を無視しては居られないというのが今の状況です。
従来通り「能力と内面で高い評価がもらえるよ!」ではなく、
「能力と内面と外見で高い評価がもらえるよ!」なわけです。
それどころか「外見がその3本柱の中で最も重要だよ!」となっています。。
なぜ今まで外見という要素が触れられてこなかったかと言えば、見た目は差別に直結するからです。
要はコンプライアンスの問題で、公に「外見が重要だよ」と言うことが出来なかった。
でも外見が重要なのは紛れもない事実です。
遥か昔から見た目が人の印象に与える影響は多分にありました。
外見ばかりに気を取られていては、当然幸せにはなれません。
でも「外見を無視することはできないんじゃないか?」ということです。
そこにたどり着いたところで、次回はその外見について深ぼっていきます。