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幸せ(S)に(N)なりたい(N)ブログ(B)

何かを学んでも、ちゃんと理解するまでに時間がかかる

物事を学ぶとき。それをすぐに頭で理解できないという感覚がある。

言葉の意味、言ってることはわかるつもりだ。が、本当の意味で理解できていない。

そしてしばらくしてから「ああ、これはこういうことだったんだ」と気づく。

時間をおいて頭が整理されるからなのか、学んだ直後はちゃんと理解するのに必要な情報が不足していて、それが何かのタイミングで満たされたときにふと理解したと気づくからなのか。

何にしても、学びがその場で体系化されて自分の血となり骨となる感覚は今まで生きてきてほとんど感じたことはない。全部後からだ。次の日のこともあるし、何か月も後のこともある。

頭の出来がいい人ならばすぐに、理解できるのだろうか。よく差を感じるのは友人と映画を見たときだ。見た直後は面白かったのかどうか判断できていない。入ってきた情報がごちゃごちゃと頭の中に散らばっている状態。これは面白かったのか、あれはどういうことだったのか。全然わからずなんとなくで友達と感想を言い合っている。同じ感じの友達もいるにはいるが、中には確実にその場でちゃんと理解して、感想を確定させているなという人もいる。彼は天才なのだろうか。まあいい。自分はというと、やはり後日「やっぱり面白かった」はたまた「前に見たあの映画ほどのインパクトはなかった」「あのシーンはこういう意図だったのか」と気づく。

でも学んだことがその場で理解できてなかったとしても、後日訪れる「これはこういうことだったのか」という感覚は、とても気持ちがよい。

例えば瞑想というものについて学んだとき。

最初は「瞑想ってただ何かに集中するだけでメンタル強くなるし、頭もよくなるし、ストレスも減るし、なんかすごいみたいだけど、今に集中するってなんだ?、マインドフルな状態ってなんだ?、湧き出てくる思考を観察するってどういうことだ、なんでそれをするとメンタルが整うの?頭良くなるの?呼吸に集中?え、ボディスキャン?集中する対象は何でもいいって?どういうこと?」と、いってる言葉の意味は分かるんだけど、なぜそうなるのか、Aという行動に伴うらしいBという結果はなぜ起こるか、どうしても結びつかず理解できていなかった。が、時間をかけて学んでいくにつれて「過去や未来に脳の容量取られるとやるべきことにリソースが割けないよね」とか「不安や緊張も同じようにリソース持って行っちゃうよね」とか「いま自分がこう感じているというのを客観的に見ることができると冷静でいられるよね」とか「そもそも出来事に関していちいち判断しなければ余計なストレス受けることもないよね」とか、そういうのがわかってきて「ああ、瞑想をすると、今に集中できるようになるってのはこういうことか」「マインドフルな状態ってのはこういうことか」「だから頭良くなるし、ストレスも減るのね」って腑に落ちるようになっていった。

理解できていなかったことが、少しでも理解できるようになる瞬間。それが楽しくて、勉強したいと思うようになった。自分は凡人であるからして、”即”理解は無理かもしれない。が、時間がかかってでも理解できるのなら、それに喜びを感じられるのならそれでいいじゃないか。そう思うことにした。

 

この「理解が後になる現象」について、実はなんとなくの予想も立っている。

即理解できないのは恐らく以下の2つの理由だ。

①情報が足りないから

②整理されていないから。

一番最初のほうに同じこと言ってるけど、今度はちょっとした根拠みたいなのを示そう。

①情報が足りないからについて。

人には直感というものがある。理屈で考えないでもなんとなく答えがわかってしまう現象。そしてこの直感というものは大抵の場合あっている。その正体は何なのか。なぜあっているのか。

経験と知識から脳が瞬時に答えを出す機能、それが直感だからだ。これは太古の人類を例に出すと分かり易い。

原人Aが森を歩いていると目の前に猛獣が現れました。原人A「この動物は危険だ。立ち向かうこともできるし、逃げることもできる。立ち向かう場合、過去にこの動物と闘ってきた仲間たちの勝率を考えると、自分なら5%くらいで勝てるかもしれない。いや5%なら勝てないと思ったほうがいい。なら逃げるべきだ。どっちに逃げるべきだ。走りやすい開けたほうか。それとも隠れる場所の多い茂みのほうか。よし決めた茂みのhぐああああ」

差し迫った危機に対して、いちいち論理だてて考えていると手遅れになる。だから、瞬時に経験と知識から答えを導く回路を人間は備えたのだ。「猛獣だ!茂みに逃げろ!」って。

ただ直感が働くのは、知識と経験があるものに関してだけだ。だから熟練の職人だと働く直感が、素人だと働かない。プロは理屈抜きにとある行動をとるが本人も論理だてて考えているわけじゃないから素人が理由を聞いても、わかるように説明できないみたいな事態が発生する。

たぶん自分も知識と経験が十分ある分野では即理解できたという経験をしているはずだ(覚えていないが)。とにかく即理解できないのは直感が働かないから。そう仮説を立てた。

②整理されていないからについて。

かのナポレオンは入浴時に画期的な作戦を思いついていた。だから入浴に一日のうち多くの時間を投下していた。IPS細胞の山中教授はシャワー中にその原型となる案を思いついていた。ジョギング中もアイデアはよく生まれるから、マラソンをライフワークの一つにしている。Appleは生産性の高いミーティングは机では行われない、緑の中を歩きながらするものだと決めている。ちょっとうろ覚えで話しているので、事実と違うこともあるかもしれないが、何が言いたいかというと、人がアイデアを思いつくのは決まってリラックスしている最中だということだ。それに気づいている人は生活の中にあえて何もしないリラックスする時間を設けている。身近な友人の話もしよう。これは本人たちから聞いているので間違いなく事実だ。例えば通勤中、歩いている最中に目下起きている大問題の解決策を、昨日あれだけ考えても出なかったのにポンと思いつく。例えばバイクで信号待ちしてるときに「煮詰まってしまいどうしようか」と思っていた新しいビジネスのアイデアが沸く。患者の診断を終えルーティン的なマッサージをしてる最中に毎日楽しみにしているゲームの新しい効果的なプレイ方法を思いつくとか。偉人の話だけでなく、人に話を聞いていると多くの人がやはりリラックスしているときに新しい発想を得ていたりするのだ。本人たちは必ずしも意図してやっているわけではないが。

どうやら人の脳には休んでいる間に情報を整理する機能が備わっているらしい。それをDMN(デフォルトモードネットワーク)という。これは瞑想を邪魔する例の湧き上がる思考の正体でもある。要は考えないと決めても「あ、じゃあ整理しときますね」と脳は勝手に情報を整理し始めるのだ。だから勝手に色んな物事が思い出される。思考が湧き上がってくる。いるものいらないものの判断や、順番通りに並べたり、グループ分けしたり。まあ実際どんなことが起こっているかはちょっとわからないがなんかしているのだろう。事実、休息中に点と点が結びつき、人は何かを思いつく。

自分の後日理解したと感じるその瞬間も、おそらくこの機能によるものなのだ。