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「頑張ること」に向かない人へ

私は頑張ることができません。

いつだかそのことに気付きました。

周りを見渡すと同じような人が結構いるなと感じます。

 

「頑張る」とはどういうことでしょう。

辛いけど、やる

しんどいけど、やる。

疲れても、やる。

やりたくないけど、やる。

つまり「その行為を続けることがストレスになるけど、それでも続ける」ということです。

 

一般的にはそういうのに耐え続けた先に成長が待っていると言われています。

確かにそうだと思います。

「頑張ること」に耐えられる人はそうして成長していきます。

でも耐えられない人もいる。

耐えて続けることが致命傷になってしまう人もいるのです。

なぜそうなるのでしょう。

ストレスを受けても続けられる人に対して、ストレスを受けるとダメになる人。

頑張りの先に待っているだろう成長よりも、今この瞬間の苦しみを天秤にかけたときにそちらが勝ってしまう人。

その理由は何なのでしょう。

よく言われるのは「考え方の問題」です。

だから多くのアドバイスでは、捉え方を変えれば頑張れると言われています。

確かにそれも事実です。

それで頑張れるようになる人もいるでしょう。

問題に対して、できるだけ「大した問題ではない」と捉えることは、ネガティブな感情を払拭するためには大変効果的です。できるなら全員身に着けたほうがいい。

でもそれは、あくまで原因の一端を解決する手段に過ぎず、すべてを解決するとは限りません。

ある物事がメンタルに影響を及ぼすまでには何段階かあり、それぞれの段階での処理も人によって千差万別です。

同じ出来事から、より多くのストレスを受ける人もいる。

同じ量のストレスから、より多くのダメージを受ける人もいる。

同じダメージを回復するのに、より多くの時間がかかる人もいる。

その違いの要因には「考え方の問題」以外にも、たくさんの要因が考えられます。

年齢の問題、環境の問題、病気の問題、体調の問題、性格の問題、遺伝子の問題、腸内細菌叢の問題、など上げればきりがありません。

年を取るほど面倒だと思うことは増えますし、逆に若くても経験が足りず不便なことが増えます。仲間に恵まれた環境でなければパフォーマンスは維持しにくくなるし、毒親など家庭環境が最悪なんてこともある。風邪やインフルの時は何もしたくないでしょうが、そうした不調を常に抱えている人だっています。生まれつき何らかの病気かもしれないし、後天的なトラウマなんかもありうる。病気でなくても生来ネガティブな人もいる。最近の科学では生まれ持った腸内環境が性格や体調に影響を及ぼすことも知られていたりします。

 

このように「頑張れない」を構成する要素は多岐にわたるため「考え方」を変えただけではどうにもならないことも大いにあるわけです。

 

ただ、そもそもですが、成長に「頑張ること」は必須なんでしょうか。

成長を、頑張ることで手にしている人は確かに多いです。

でももっと掘り下げてみると、おそらく成長を導いているのは「継続」です。

本人は頑張っていると思っていないのに、継続することで成長を導いている人だってめちゃくちゃいます。

楽ちんに、疲れを感じないところまで、ストレスのない状態で、苦労を伴わなくても、ぬるくても、続けることで成長することも人はできるはずなのです。

 

なぜ世間では、ぬるい環境に身を置くことが批判の対象にされるのでしょうか。

厳しい環境こそ正義だといわれるのでしょうか。

 

恐らくこうです。

世の中の大抵の人はやりたくないことをやらざるをえない環境にいます。

彼らはその環境下で成長してきました。彼らにとってはそれが全てです。

実際はやりたいことしかやらなくても、成長はできるんですけどね。

それに気付いている人もいるでしょう。

「別につらい思いをしなくてもうまくやれてる奴はいっぱいいる」と。

ただ、その事実に気付いているかはあまり関係がない。

人は自分のやってきたことは正しいと思いたい。

自分が払ってきたコストには大きな価値があると思いたい。

それらを意味のないことだと思うことは、自分の作り上げてきた価値観を壊すことになる。自分の人生を否定することになる。

だから「苦しむこと」は正しいことで、価値のある事だと、みんな言うのです。

 

しかし、成長の本質は継続すること。

別に苦労しなくたって良いのです。緩く、ぬるく、楽しく、楽に、続けられるやり方で続ければいいのです。

 

私は努力が苦手で、頑張ることもできない。

何度か厳しい環境に身を置いたほうが成長が見込めると信じて、そうしたこともありました。

結果は散々だったのですがね。

小休止のつもりで仕方なくぬるい環境に身を置くと、なぜか逆に伸び始める。

ずっとそうでした。

そうして、自分は厳しい環境よりも、ぬるい環境のほうが伸びるのだと確信するようになりました。

どうしてそんなことが起きるのか掘り下げたことがあるので書いてみます。

 

まず、ぬるい環境は自分のできることだらけだから自己効力感が高まり、なにより楽しい。だからモチベーションが沸く。そうすると、放っておいても時間の投下量は増え、自分から発展的なことをやろうとする。工夫しようと色々考える。その間、もちろん努力している感覚はない。全く苦しくない。ただ楽しんでるだけ。気づけば勝手に成果が出ている。

対して厳しい環境は、楽しくない。自分の能力以上の要求をされるからできないことだらけで自信を失っていく。それでも最初は、こなくそと気張るのです。でも、そんな状態は長くは持たず、やがて糸が切れるとモチベーションがどんどん下がっていく。というか目の前の課題を無意識に避けようと考えるようになっていきます。積極性がなくなり、やれと言われた最低限しかやれなくなっていく。それどころか、最低限すらこなせなくなっていく。そうして、状況は悪化の一途をたどります。

 

とまあn=1ではありますがこんな具合です。

 

頑張ること、努力することは、圧倒的正義とされます。

頑張ったり努力したりすればみんな褒めてくれます。

頑張りや努力は万人に効く薬のように吹聴されている。

生まれ持った性質で、頑張っている状態を継続できる人はそうすればいい。

 

でも頑張れない人もいます。

別にそれでいい。成長の本質は継続であり、そこには頑張りや努力は必須ではないのです。