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具体と抽象、それぞれのメリットと塩梅

物を理解するときに、「具体と抽象」という概念を覚えておくと非常に役立ちます。

ざっくりいうと次のような関係です。

「たくさんの具体例と、その共通項である抽象的概念」

「一つの抽象的概念と、そこから派生するたくさんの具体例」

具体から抽象を導いたり、抽象を具体例で理解したりと相互に補完しあう関係です。

 

最近情報収集をしていると、世の中「具体」で溢れているなと感じます。

人に分かり易い説明をしようと思うと「具体例」なんてものを多用するように、具体はとにかく分かり易い。人に認知されるにはやはり具体を発信していくのが手っ取り早いですから仕方ないですね。

 

一方で、抽象。世にあふれるのは具体ですが、こちらが実は重要だったりします。物の本質はこちらに隠れていることが殆どです。というか物事の本質=抽象といっても良い。ただ難点があるのです。それはこれ単体だと非常に分かりにくいということです。

「抽象的な説明」というと基本的に「分かりにくい説明だよ」という指摘だったりしますもんね。

 

自分がその分野に精通していない場合、いくら本質をついた説明であっても、抽象的な説明だけでは普通は理解できません。抽象を理解するには前提となる知識が必ず必要になってくる。その前提となる知識ってのが、要は具体の事なのですが、具体をたくさん知ることで、ようやくその共通項である本質、つまり抽象が見えるようになるのです。

 

では、具体だけ集めていけば勝手に抽象が見えてくるのか。それも違います。具体を無造作に集めていったところで、その共通点を見つけようと意図的に思考しない限りは、抽象は絶対に見えてきません。

物事の本質を求めるのならば、常に抽象を求める癖を持つことができるか、それが重要なわけです。

 

 

ここでちょっと別の話。

 

人の記憶の容量には恐らく限りがあります。何を覚えるかをちゃんと考えないと、限りある容量が無駄な物で占められてしまいます。

 

この時に、この「具体と抽象」を考えると非常に容量の節約になります。

 

掛け算の九九って習いましたよね。ざっくりですが、あれって81個もの掛け算の答えを暗記する物なわけです。瞬時に掛け算の答えを出せる便利な物である一方、実は掛け算のやり方を知っていれば別に覚えていなくたって問題はありません。九九よりちょっと時間はかかりますが答えにはたどり着けますからね。

でも、九九だと81個も記憶の容量を取られるのに対して、掛け算のやり方だけ覚えておけば記憶の容量は1個しか消費しません。これは大きな差です。80個他のことに脳の容量を割ける訳ですから。

また、掛け算のやり方を覚えておくことのメリットはまだあります。

それは、九九以外にも世の中に存在する全ての掛け算に対応できるようになるということです。これは大きい。

それだけではありません。掛け算のやり方を知らず、九九しか覚えていなければ、81個の内どれかを忘れたらその答えはもう出ませんが、掛け算のやり方を知っていれば、九九を忘れても自力で答えを導いて覚え直すことができます。

 

ここでいう九九の81個というのは具体の事、掛け算のやり方というのは抽象の事です。つまり世の中の事を抽象で覚えておけば、脳の容量を節約できるうえに、いくらでも応用の利く知識となるのです。

 

 

冒頭で言った通り、昨今は、世の中の情報が具体で溢れています。それを学ぶことは間違いではありません。むしろ積極的に学んでください。でもその具体はただ集めるために学ぶのではなく、抽象を導くために学ぶものと、そう意識しておく必要があります。

やがて抽象が抽出できれば、学んだ具体は忘れてもいいです。忘れても抽象からすぐに引っ張ってこれますしね。その上、学んだ具体以外の応用もできるようになるなんてオマケもついてきます。

 

もう一つ。九九で説明しきれませんでしたが、抽象で理解しておくことには、まだメリットがあります。それは、意識すべき事が減るということです。健康のためにあれもこれもと、具体を毎日実践していると忙しないことになりますし、煩雑過ぎて忘れてしまうこともあるでしょう。人の頭は同時にいくつも意識することはできません。でも「体にいいことだけしてればいい」これだけを意識すれば、途端にシンプルになります。まあその抽象から具体を引っ張ってくるためにもいったん具体を学んでおく必要はあるのですがね。そういうメリットも抽象で覚えておくことにはあるのです。

 

抽象なしに具体だけ覚えても仕方ない。具体がなければ抽象は理解できない。ちょうどいい両者の塩梅を模索していこうと思う次第ですはい。