ある説によると、人は不安を排除することはできないと言います。
その説明としては、以下のようなことが考えられます。
・不安は危機から自分を守るための感情であり、完全に安心した状態では、突如として現れた危機に遅れを取る事になる。だから人類は常に何らかの不安を抱えている状態を選んだ。
・未来とは、いくら考えつくしたとしても、とどのつまりは不確定なもの。人類が未来を想像する事のできる生き物である以上、未来への不安が拭えることなどない。
・人はいつだって死と隣り合わせである。その事実を常に意識はしていなくとも、潜在意識で我々は常に死を意識し、その不安を抱えているのだ。
・人が生まれた次の瞬間に泣き始めるのは、生まれながらに不安を抱いた状態だからだ。
などです。
つまりこの考えに乗っ取れば、誰だって満たされることは永遠にないのです。
人類にとって不安な状態はデフォルトな状態である。
これは絶望的に聞こえたりもしますが、「不安」というものはありふれた存在で「不安が無くならないこと」に悩む必要はないのだという視点を与えてくれたりもします。
いくらか救いになる考えでもあるでしょう。
ただ、だからと言ってすべての不安を放置するのは悪手です。
なぜなら対処できる不安もあるからです。
上記の拭い去れない不安というのは、人類が生まれながらにして持つ、原因不明もしくは根本的に解決不能の不安です。
しかし、そうじゃない不安もある。
「経済的不安がある」「人間関係の不安がある」こうした不安は、具体的な解決手段のある不安になります。
不安の総量が減る余地があるのならば、これらに対しては諦めることなくアプローチしていくのが最善だといえます。
そのとき、不安の持つ以下の特性を考えると役に立つかもしれません。
不安には「人に行動の動機を与えてくれるもの」という側面もあります。
人が行動するとき、その原動力は二つです
一つは「期待」。
行動をすることで何か自分にとって良いことがあると思えたときですね。
そしてもう一つが「不安」です。
自分にとって悪いことが予測されたときに、それを避けようとして行動するパターンです。
不安を感じているという事は、自分の悪い状況を変えるチャンスであるとも捉えられます。
不安といえば、ネガティブな物と考えがちですが、必ずしもそうではないのです。
もしネガティブな側面しかないものならば、人類は進化の過程でとっくにその機能を捨てていることでしょう。必要だから残ってる。であるならば、どうして必要だと人類は判断したのか。本来はどういう目的を持った昨日だったのか。それを知ることで、活かすことも可能なのです。
現代社会は文明の発達により、人が備えた本能という機能が誤作動を起こしているケースが非常に多く見られます。この「不安」に悩む人が多いという事態もその一つです。