私は物を調べるのが好きです。
勉強して知識をつけて、それを実践して成果が出たり、人に伝えてその人の役に立ったりするととても嬉しい。
だから勉強を続けています。
でも、むやみやたらに情報を詰め込むだけでは、問題が起きる可能性があるよという話があるので、今回はそれを話します。
勉強をしていると、知識を得ても得ても「頭の中が空っぽだ」という感覚に陥る人がいます。
私もそうでした。というか今もそうです。
知識を得て、成果は出てるけど身になっている気がしない、満たされないって感じですね。
これは恐らく、学んできたことのほとんどが「こうらしい」という形で自分の中に蓄積されてしまっていることが原因です。
つまり自分主体の「こう思う」がない。
それは言い換えれば「自分以外の誰かの考えで頭が埋め尽くされた状態」です。
「頭の中が空っぽだ」という感覚の正体はこれになります。
これを解消するには自分の頭で答えを出して「こう思う」で頭を埋め直していくしかない。
他者の考えではなく自分の考えで頭を満たすということです。
勉強をするなとか、人の言うことを聞くなということではありません。勉強は大事ですし、人の話は聞きましょう。
ただ、それはあくまで自分の思考過程を補助するための手段であるべきで、情報を得ること自体が目的となってはいけない。
いけないわけではないですね。自分の頭が他人の考えで埋め尽くされても問題ない人であれば、単なる情報の蓄積も「歩くGoogle」みたいになれていいかもしれません。便利は便利です。
ただ多くの人にとって、自分の尊厳やアイデンティティ、価値観や人生の意義といったものは非常に重要で、それを健全な状態に保ちたいのであれば、やはり、極力自分の考えで頭は埋めておく必要がある。
「考える」という行為は、当然何かの答えを導くときにする行為ですが、自分を保つためにも実はめちゃくちゃ重要な行為なわけです。
学校教育が割と、人から言われたことをそのまま覚えるって感じですからね。あんまり考えることに比重が置かれてない。「今回は勉強していると~」みたいな書き出しにしましたが、そうじゃない人でも結構な割合で「こうらしい」状態の蓄積をしていたりするんじゃないかなと思います。
「こうらしい」で蓄積してると、例えば健康情報なんかを効果も感じていないのになんとなく続けちゃうとか、状況によって臨機応変な対応が求められていても規則に則ってしまったりなんてことをしちゃいがちです。
あとは単純に考える癖がないもんだから、答えが簡単に出ない問題と遭遇したときに適切に考えられなかったり、重度だとそもそも自力で解決するという発想自体がなかったりします。答えがないなら無理じゃん!みたいな。
んでそうしているうちに「こうらしい」に埋もれ、自分というものを見失っていると。
考えることの尊さを知ってはいるつもりでも、結構体力使うもんだから結局ただ頭に放り込んで終わっちゃうことも多いんですよね。直さねば。