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「メンタル強者」になるには、防御力より回復力

メンタルが強い人とはどんな人のことなのか。

同じ出来事、同じ状況下でも、人によって反応は様々だ。

困難を前に、苦しくて耐え切れず逃げ出してしまう人もいるし、そんな困難な状況でも、こなくそと歯を食いしばってとどまり続けられる人もいる。一体その違いは何なのだろうか。

2つ考えられる。

1つは、

 

①「受けるダメージが小さい」

 

ということ。防御力が高いとも言える。

同じ困難に直面したときに受けるダメージが100の人と10の人とがいて、10の人はメンタルが強いということ。

実際、これがメンタルを構成する要素の一つであることは間違いない。

だが、「メンタルが強くなりたい」そう考える人が、目指すのはこのメンタルの強さではない。というか多分手に入れることができない。

なぜなら、受けるダメージが少ないということは「鈍感である」ということだからだ。

メンタルが強くなりたいと思っている人は、そもそも人より繊細であるはずだ。だからこそメンタルが強くなりたいと願う。だが、繊細であることは生まれ持った特性であり、後天的に鈍感になるのは恐らく無理。

さらに、繊細さは武器でもある。人が気づかないことに気付くことができるのは、確かに悩みの種にもなるのだが、その特性をうまくいかせれば、この上ない武器になる。気の利くかゆいところに手が届く人、人の痛みがわかる本当の意味で優しい人、そんな評価は繊細さの上にこそ成り立つ。それを捨てるのはもったいない。

一方で鈍感である人といえば、どんな人か。繊細の逆ならば「気が利かない」「人の痛みがわからない」こうした特徴だろう。これらはサイコパスの特徴だともいえる。サイコパスの人たちは、人の心を無視した判断ができるがゆえに、情にほだされない公正な判断ができるのが強みで、組織の重要な意思決定をする立場の人なんかに向いた特性ではある。サイコパスが揶揄されることが近年は多いが、人間社会は、様々な特性の人々が、互いに力を発揮しあって、集団として良い方向に進んでいるのであり、彼らもまた社会にとって必要な存在だ。

原始時代で例えよう。確かに普段平和な時間を過ごしている分には繊細さを持った人々が最も重宝されるだろう。人を気遣い、人の小さな変化に気付き、互いの心に寄り添いながら暮らす。平和な中での円滑な集団生活にはうってつけの特性だ。きっとサイコパスが中にいると、あいつは輪を乱すヤバイ奴だからと邪険にされる。だがひとたび有事が起きたとしたら、逆の事態が発生する。食糧が不足した、集落に猛獣がやってきている、そんなとき、繊細タイプの人たちだけなら、老若男女すべて、病人だろうがお構いなしに平等に手を差し伸べることだろう。誰も見捨てないそんな姿は美徳とされるかもしれないが、実際は全員が助かる道はもう閉ざされていて、誰かを犠牲にするしかない。それができなと着々と被害が拡大し続ける。そんな状況だ。そこでぱっと助かる見込みの少ない人々を切り捨てて、被害を最小限に食い止めるための判断をサイコパスならできてしまう。一気に集団内での重要度が入れ替わる。状況が変わればサイコパスが最も重要な存在となりうるわけだ。

これはほかのほとんどの特性でも言えることだ。どの特性の人が重宝されるかは状況に寄りけりであり、一部を除いて特性ごとの優劣は存在しないのである。

 

話しを戻そう。メンタルの強い人の特徴として考えられる1つ目は「受けるダメージが少ない」つまり「鈍感であること」。でも繊細な人は鈍感にはなれない。では鈍感になれない繊細な人々はどうすべきかだ。

それは、

 

②「逆境から素早く立ち直ることができる」

 

ようになることだ。つまり回復力が高いということ。

これが2つ目のメンタルが強い人が持っている特性だ。ダメージを受けても、回復できる、そしてその回復が早い。繊細な人はこの特性を身に着けることがメンタルの強さを手に入れる唯一の方法であり、また最も重視すべき特性なのである。

この力は、後天的に身に着けることができる力だ。要は考え方を徐々に変えていけばいい。日ごろから心がける、訓練する、そうすることで高まっていくのだ。

繊細な人間の有利な特徴を持ったまま、この「逆境から素早く立ち直ることができる力」をもつことができれば鬼に金棒。

本当にメンタルが強い人というのは何にもダメージを受けない鋼の心を持った人ではなく、どんな傷も瞬時に癒せる柔軟な心を持ったこういう人のはずだ。