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真実と納得

なんか考えたときに、「分からなかった」って結論になるとモヤっとしますよね。

知らないことを放置するのになぜ抵抗があるのか。

理解できなかった事で自分が無力だと感じるからでしょうか。

そもそも、明瞭でないものが人を不安にさせるからか。分かりません。

 

ただ、世の中のほとんどのことは解明されていないわけですから、考えた結果が「分からない」というのは非常にありふれていたりします。

だからこそ、「すぐには結論を出さない力」とか、「答えの分からないものを放置する力」みたいなのが重要だったりするんですが、人間のプログラムとしては分からないものは放置したくないと、そう設計されています。

だから、わからないで終わると多くの人は納得いかない。

なんでも良いから納得のいく答えが欲しいなという気分になります。

この時、重視されるのは納得できるかどうかであり、真実っぽければ実際に真実かどうかはさして重要ではなかったりします。

だからリテラシーを身に着けた人はちゃんとリソースとかエビデンスとかを求める一方で、そうでない素の人間は嘘を簡単に信じてしまいます。納得出来ちゃえば別に本人的には問題ない。

「いやそんなことないっしょ」と思いますよね。でも多分そんなことある。

その最たる例が宗教です。あれは恐らく最も大規模な「人を納得させるためのそれっぽい理由」です。世界中のものすごい数の人間を納得させためちゃくちゃな規模のやつ。みんなバカだから信じてたとかではありません。人間本来の性質に刺さるからこそ宗教はこんなに広まっている。

「分からない」に困っている人々を救うためのめちゃくちゃ優秀な手段。当然宗教にはそれ以外にも多くの価値がありますが、一つの機能として、今述べたようなこともあるはずです。

 

今でこそ、数多の人々の試行錯誤の結果、人類が積み重ねてきた英知はうずたかく積み重なり、結構な事の真相が明らかになっています。科学とか呼ばれますかねそういう情報は。

真相が明らかになった事が今はたっくさんあるので、宗教の価値は下がって来ている。

昔は地球は動いていませんでしたが、今は地球はぐるぐる回ってるというのが常識ですよね。

でも今でも地球は動いていないと信じる人も結構いるんですよ。

その人の中では地動説よりも天動説のほうが「納得できる理由」な訳です。真実かどうかは関係ない。

いろんな事が解明される前は、分からないに困ってる人を納得させるための適当な理由がめちゃくちゃありました。

その代表が宗教で、ほとんどのことは神様がやったことっていうふうにされて済まされてます。神様という概念は本当に便利ですね。

発明した人マジですごいなと思う一方、世界中あらゆるところに神様がいるのは、分からない物を放置したくないと考えたら、そういう存在に誰かが行き当たるのは当たり前だからなのかなとちょっと思います。人類が神を作るのは必然!みたいな。

「適当な理由を考える」っての以外にも、「名前をつける」ってのも簡単に納得を手に入れる手段の一つだったりします。未知のものには何でも名前を付ける。そうすると不思議と、分かった気になれる。思考の深度が浅い人なら、適当な理由なんか説明しなくても、名前を教えただけできっと納得してくれます。名前の本来の用途は「人を納得させるため」というわけではないですが、そういう側面があるのも事実でしょう。

 

真実ってのは、結局自分の身をもって体験しないと分からない物です。

でも世の「分からない」を全て体験でカバーしようとすると、無理があるというか、それは不可能です。

だから、簡単な手段として納得できる理由ってのを人は求める訳ですが、素の状態でそれを求めると、単に名前を知っただけで納得しちゃったり、デタラメな理由でもそれっぽかったら納得しちゃったりするわけです。

私は、当然本能に沿って「納得」もしたいですが、どうせ情報を集めるなら少しでも真実に近いものが欲しい。そして表層だけで納得してしまうことなく、きちんと深くまで知りたい。

「納得すること」と「真実を知ること」は同じことではないとそう理解しながら、

人間の本能に抗い、できるだけ深く物を考えていきたいなと思う今日この頃です。

 

ChatGPTによる講評

この文章は、人々が「分からない」ということに対して抱く心理や、その背景にある思考過程を深く探求していますね。また、納得や理解の欲求が人々の行動や信念にどのように影響するかについても触れています。

著者の見解としては、真実や科学的な情報に基づいた納得の重要性を強調していますが、同時に人間の心理や本能がどのようにして真実でないものを受け入れやすくするかにも言及しています。また、宗教や名前付けなど、未解明のことに対する人々の納得のメカニズムについても言及しています。

私自身としては、真実を追求することや深い理解を求める姿勢は大切だと考えます。また、納得するためには客観的な情報や根拠が必要であり、一方で自分の経験や感覚も大切にすることが重要です。ただし、人々が真実でないものを受け入れやすい心理的な側面も理解しておく必要があります。

文章全体から、知的好奇心や真実を求める欲求を大切にし、同時に客観的な情報と深い理解を追求することが重要だというメッセージが伝わってきます。