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幸せ(S)に(N)なりたい(N)ブログ(B)

言葉にすると分かった気になれるけど、実際は分かっていないのでは

世界は、なんだかよくわからないものに溢れています。

宇宙とはなにか。

生命の存在理由は。

神はいるのか。

いやあ分からん。

でもこういう壮大な人知を超えたようなことだけじゃないです、分からないものというのは。

 

例えば、そのスマホ。なんで動いているか分かりますか。

タッチするとなんで反応して、どうしてインターネットと繋がっているのか、ダウンロードするだけでどうしていろんな機能が使えるようになるのかとか。

Appleで実際に作っている人なら全てに答えられるでしょうが、基本的に我々はよくわからないまま使っている。スマホだけじゃない。全部そうです。

車がなぜガソリンで走るのかとか、飛行機はなぜ飛ぶことができるのかとか。冷蔵庫はなぜ冷たいかとか。

人知を超えた何かだけじゃなく、人工物に対してさえ、我々の頭はよくわかってない。

 

そして、分からないものに対して人はストレスを感じるようにできていたりします。

例えば、この風船はいつ割れるか分かりませんといって持たされるのと、1分後に割れますと言われて持たされるのどちらがより安心かといえば、後者ですよね。まあ割れてほしくないですが。

他にも、何をしでかすか分からない人と一緒にいるよりも、行動に一貫性のある人のほうが安心しますよね。

基本的によくわからないものを人は恐れる。

不確定なものを恐れるようにできているわけです。

 

でもまあ別にスマホを恐いとは思っていません。

え、なんでタッチすると動くの怖っ!とか

インターネットとつながるの怖っ!とはならないわけです。

 

そんなこといちいち怖がってたら生活に支障が出ますからね。

ではどうやってわからないものへの恐怖を克服しているのでしょう。

 

いくつか要因は考えられて、日常的に触れ続けているからとか、そういった慣れの要素もあるんでしょうが、

 

「言葉にできるから」

 

ということも一つ重要だったりします。

 

「これはなんですか?」と聞かれたときに「スマホです。電話とカメラとパソコンの機能を備えた手のひらサイズのデバイスです」みたいに言葉として答えられるかどうかってのが結構重要なのです。

 

昔から、人類はそうしてきました。

突如暗くなった上空に轟音とともに走る光の線を「カミナリ。神様が怒ったときに現れるもの」と言ったり、科学の未熟な時代はよくわからないものは全部とりあえず神様のせいにすることで納得したりしてます。

 

果ては、なんだかよくわからないものをひっくるめて「イデア」とか「空(くう)」とか言ったりもしますよね。もはやなににでも対応している訳です。すごい。

 

なんにせよ、言葉にすることができると、人は分からないものを分かったような気になれる。不安が消えるわけです。

 

そのものの原理原則がわからなくても、言葉にできれば不安は消えるというのは結構使える機能だったりします。

 

漠然とした不安は書き出すと落ち着くというテクニックありますよね。ジャーナリングとか、エクスプレッシブライティングとか言われてたりしますが。

これも、その機能が一躍かっているはずです。

 

言葉にできると知った気になれる。

とても便利ですが、なんでも知っていると勘違いしないようにしたいですね。