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神はどこにいるのか

スピリチュアルなタイトルですが、神様という概念はこういう機能を持っているよねという実利の話です。

スピリチュアルもそこそこ好きなので、何か考えが沸いたら書くかもしれません。

 

人が悪事を働くとき。神様はそれを見ている。

そういうと人は悪事を働く前に思いとどまりやすくなります。

人の目があると悪いことはできないですが、神様という概念を持ち出せば、例え周りに人がいない空間でも、人の目を意識させ、悪事を抑止できます。

この考え方は人類をより「善く」する。素晴らしい考え方です。

 

不運に見舞われたとき。きっとこれは神様が与えた試練なんだ。

そういうと、人はネガティブな出来事をポジティブに変換できます。

フレーミングというやつですね。

認知行動療法なんかにも近い考え方はあるでしょう。

大きなストレスを受けたときに、物事の捉え方を変えることでそのストレスを小さくできる。

用意された環境がたとえ劣悪な環境でも、神様の試練という概念を持ち出せば、皆ある程度皆耐えます。

かつて人類が経験してきたどんな苦境も、きっとこの考え方が一つの助けになっていたはずです。

 

努力がなかなか報われないかもしれないが、神様はきっと見てくれている。

そういうと、人はモチベーションを保つことができます。

人は誰かから評価されたり、成果や報酬を目に見える形で受け取れないと次第にモチベーションを失います。

しかし神様が見てくれていると考えれば、過酷な条件でも評価や報酬を想像でき、モチベーションを保てます。

今日の人類の発展はきっと、この考え方があったからこそでしょう。

 

こうした効果が発揮されるとき、神様はどこにいるのかと考えると、それは想像する人の頭の中です。頭の中で想像した神様という存在の視線や存在を感じることで、人は自分の行動や考え方を変えます。本当に神様が存在していても、していなくても、想像さえできれば関係ないのです。

つまり「神は私の中にいる」といえます。

 

他にも神様という概念を持ち出すと、理解できない現象を途端に理解できたりします。

太陽は私たちを見守ってくれている神様。月も。

雷は神様が怒っている。嵐も地震そう。

まだ科学が無かった時代。人々にとって得体のしれない恐怖の存在は、神様という概念を持ち出すことで理解の及ぶ物になります。

よくわからなければ天変地異の恐ろしさはより増幅される。

人は未知のものに恐怖を抱くからです。

しかし、神様というフィルターを通して理解の及ぶ物に変えてしまえば、そうした不安や恐怖は減ります。

こういう時神様はどこにいるかというと「世界全てが神様」といえるでしょう。

 

神様という概念は、時に人の行動を律する手段となり、時に理解の及ばない難解なものを理解するための手段となる。人が生み出したすごーく便利な概念。そういう側面を持ちます。