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人生の攻略本が欲しい

私はゲームをするとき、最初は自力で攻略したいけど、ある程度攻略が終わったら攻略本を読むってタイプでした。

どっちも楽しいんですよね。自力攻略も、攻略本読んでの攻略も。

 

自力攻略ではうまくいくことだけじゃないんで、「うまくいかなかったここは次こうしたらうまくいくんじゃないか」とか、色々と試行錯誤しながらの攻略していく。

そうすることでワクワク感がずっとあったり時には脳汁ブシャーみたいな体験もできて、そういうところが楽しかった。

 

一方、攻略本を読んでの攻略も楽しいことはありました。

ここにこんな隠し要素があったのかとか、

NPCが使ってたこのかっこいいやつってここで手に入るんだとか、

こう育てればより強い個体になるのかとか、

今まで自力ではできなかったことができるようになりプレイがより快適になる。

その感じが好きでした。

設計意図がそもそもそうなっているんでしょうが、多分ゲームを最大限楽しむには、どちらも必要なんでしょう。

その好みのバランスは人によって違うでしょうが、何にしても最初から攻略本読んでたら試行錯誤のワクワクはなくなるし、攻略本読まなかったら便利な要素に気付かないまま永遠に不便な思いをしながらプレイすることになるのでもったいない。

 

 

考えてみたら勉強って、人生という名のゲームの攻略本を読むことに等しいですよね。

経験をおろそかにして全てを机上の勉強から得ようとしたら頭でっかちなつまらん人生になるでしょうが、かといって勉強しなかったら多分めちゃくちゃ不便でずっと人生ハードモードです。

攻略本として現代人が最も多く利用しているのは科学だと思います。

でも考えてみると科学って、人類がずっと積み上げてきた攻略本のごくごく最近の章だけなんですよね。ページ数でいうとめちゃくちゃ少ない。

もっと古くから壁画やら文学やら哲学書やら宗教やら様々な形で情報は積み重ねられ続けている。

もしかしたらアカシックレコードみたいな形で、もっともっと昔の、宇宙ができたころから情報は蓄積され続けているかもしれない。

アカシックレコードはまあ考えないにしても、やはり科学以外のそっちも読んだほうが良くないですかと最近よく思います。

私はこれまで科学こそ絶対みたいな感覚で生きて来ました。

エビデンスがないことは信じない!みたいな。

科学以前の情報ってそういうのあんまないじゃないですか。

エビデンスがないのはちょっと不安だななんて思いながらも、実際は科学以外も学んだほうが遥に多くが学べるんじゃないかって気がしてます。

まあ今さら雷を見て「神様がお怒りじゃ!」とかなろうとは思っていませんがね。

そんなこんなで、中でもより強く食指の動く感じのした仏教や易経あたりを少しかじってみようかななんて思ってます。めちゃくちゃいい攻略本になる気がして。

というのも既にほんのちょっとだけかじってるんですよ。先っちょをちょっとだけですが。

めちゃくちゃ抽象的でマジでわかりにくいなって感想なんですけど、本質ってのは抽象的なものですからね。そこはもう仕方ない。

抽象を理解するためには、自分の中にある具体をその抽象に当てはめていってみる必要があるんですけど、一つの抽象を理解するだけでも、相当数の具体が必要になってきますから、自分の中にたくさんの具体がないといけない。つまりできるだけ多くの経験と知識、教養や知恵ですね。

ちゃんとわかるまでには相当な年月というか、一生かかっても無理かもしれないですけど、やるだけの価値はありそうだなとなんとなく思ってます。