心の充足には何が必要か。そんなことを日々考える。
生活空間の充実はきっとその答えの一つになるはずだ。そんなこんなで最近インテリアについて考えたことをざっくりと。
人が整っていると感じる空間は主に2つだ。
①シンプルな空間
②法則性を感じられる空間
シンプルな空間とは、余計なものを排除し、必要最低限の洗練されたもののみが配置された空間。ミニマリストと呼ばれる人たちが目指すのはこういった空間だろう。生活感を徹底的になくしたホテルライクな部屋などもこれに該当する。
やることはシンプルで、要は物を徹底的に減らせばいい。
「何を残すか」にその人のセンスは出るものの、物を減らすだけでどんな人でもある程度洗練された空間を作ることが可能なのだ。
ただ、その「物を減らす」という行為が非常に悩ましい。
ミニマリス的な思考や断捨離はちょっと意識したくらいでは簡単に実現できるものではない。「本当に必要なもの」を見極める力としてはいずれ身に着けていくべき力ではあるものの、それは歳を重ねながら少しずつ少しずつ育んでいくもので一朝一夕というわけにはいかんのだ。
物を持ち過ぎた今この瞬間、どう空間を整えればいいのか。多くの人はそこに悩む。
最近は断捨離がもてはやされているが、物を持っていること自体は決して悪いことではない。人生の序盤、言わば真っ白なキャンバスともいえる自分に知識や経験といった形でできるだけ多くの色を塗り重ねていくことが重要なように、洗練された空間づくりもまずは持つことからなのだ。持ってみて、必要なものと必要でないものを見極める審美眼を養っていくべきなのだ。物が増えることは、洗練された空間づくりにおける通過儀礼というわけである。
脱線したが、そんな「ものが多いが整った空間」を目指したいときに意識すべきが「②法則性を感じられる空間」だ。
ごちゃごちゃした装飾だらけの部屋や建物でも、なぜか整っていると、美しいと感じることはないだろうか。西洋のゴシック建築や、日本だと東照宮など。過剰とも思える装飾が、シンプルさとはかけ離れているがそれでも我々は美しいと感じてしまう。
なぜならそれらが法則性をはらんでいるからだ。
デザイン一つ一つにデザイナーの細かな意図が張り巡らされ、なんとなく配置されたものは一つも存在しない、すべての配置に意味がある。そんな細やかな意図を無意識的に感じ取り我々は心地よさを感じているのだ。
そもそもなぜ人は法則性に心地よさを感じるのか。それについても言及しておこう。
未来に何が起きるかわからないとき、われわれは不安を感じる。が、法則性を感じることができると、途端にその不安は払拭される。なぜなら次に何が来るのか、つまり未来が予想ができるようになるからだ。元来我々の頭にはそうした「法則性を感じると安心する」という能力が備わっている。
では、どうその法則性を空間づくりに取り入れるか。
余計なことをつらつらと述べたが、やるべきことはこれもシンプル。
つまり、意図をもって物を配置すればいいのだ。
・左右対称になるように
・背の順になるように
・上端が同じラインに来るように
・三角形になるように
・中心線の延長上になるように
・用途が似たものが必要な場所にまとまるように
・グループに見えるように
・色がそろうように
・形がそろうように
・自分の身長に合わせて
・使う人の体格に合わせて
・通るときに邪魔にならないように
などなど、その意図は比較的なんでもいい。
空間づくりにおいて、最終的に目指す到達点は、自分にとって本当に重要なものだけが自分の意図をもって配置された空間である。その到達点が、他人から見てシンプルに見えるか、それともごちゃごちゃして見えるか。それは本質的にはどうでもいいこと。自分が自分の意図で「本当に必要なもの」を自分の意志で配置していると感じられるのならばそれでいい。今、洗練の過程にある我々は恐らく持たなくていいものも多く所有している。今考えうるうまい配置を考えながら、長年かけてそぎ落としていければいい。