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ものが多くても部屋を整えたいと思ったときに考えること

居住空間を整えることは、生活を豊かにするためにできることの一つです。

特別な用途を持たせない限り、住環境は「落ち着ける」「癒される」空間であるべきです。

大抵の人は、自宅で休息を取るわけですから、そこが落ち着けない空間だったら問題があるでしょう。

そのためにも、空間を整える必要があるわけです。

ということで部屋を整えるときに考えるべきことについて書いていきます。

 

まず、人が整っていると感じる空間には2種類あります。

1つは「シンプルな空間」。

物が少なく、必要最低限の物で構成された、余計なもののない空間です。

ホテルライクな部屋とか、生活感のない部屋とか、ミニマリストが目指す部屋とか、そんなイメージですね。

そんな空間を目指すときにやることは「物を徹底的に減らす」これです。

何を残すかをちゃんと考える必要はありますが、基本的には、物を減らしさえすればある程度部屋は整っていきます。

 

でも、その「物を減らす」という行為が難しいんですよね、分かります。

「必要なものを見極めて、それだけを残す」

この行為は実は非常に高度な行為です。

自分の価値観に沿うものを見極めるにはまず自分の価値観がはっきりしていないといけません。

若いうちからそれを明確に持っている人もいるには居ますが、大抵の人は歳を重ねてようやく身に着けていくものです。

また物への理解も必要になってくる。

現状、物を持ち過ぎていると感じている人は、たぶんそれらの物差しを十分に用意できていないはずです。

物差しなしに、物を判断しろと言われてもそんなの無理ゲーですよね。

一応、ミニマリスト達の紹介する方法に従って物を手放していく事も可能ではあります。が、自分の価値観で判断していない以上、過剰に手放してしまうなんて事も起こりえます。

必要なものを手放してしまったと気付ければ、新たに入手すれば良い。でも気付かなければ持つべきものを持たないままでいることなります。たまにいませんか、ちょっとさすがに「持たなすぎ」じゃないかって人。

 

では、どうするか。そんな時に活躍するのが、二つ目の人が整っていると感じる空間。

「法則性を感じられる空間」です。

ごちゃごちゃした装飾だらけの部屋や建物でも、なぜか整っていると、美しいと感じた事はないでしょうか。西洋のゴシック建築や、日本だと東照宮など。過剰とも思える装飾が、シンプルさとはかけ離れているのに、それでも我々は美しいと感じてしまう。

なぜならそれらが法則性をはらんでいるからです。

デザイン一つ一つに制作者の細かな意図が張り巡らされ、なんとなく配置されたものは一つも存在しない、すべての配置に意味がある。そんな細やかな意図を無意識的に感じ取り我々は心地よさを感じてます。

そもそもなぜ人は法則性に心地よさを感じるのか。それについて言及しておきましょう。

未来に何が起きるかわからないとき、我々は不安を感じます。しかし法則性を感じることができると、途端にその不安は払拭される。なぜなら次に何が来るのか、つまり未来が予想ができるようになるからです。元来我々の頭にはそうした「法則性を感じると安心する」という能力が備わっています。

まあそれだけが要因ではないんですが、とにかく我々は法則性を美しいと感じる。

では、どうその法則性を空間づくりに取り入れるか。

答えは簡単。意図をもって物を配置すればいいのです。

・左右対称になるように

・背の順になるように

・上端が同じラインに来るように

・三角形になるように

・中心線の延長上になるように

・用途が似たものが必要な場所にまとまるように

・グループに見えるように

・色がそろうように

・形がそろうように

・自分の身長に合わせて

・使う人の体格に合わせて

・通るときに邪魔にならないように

・これはここで使うからここに

・あれはあそこで使うからあそこに

などなど、その意図は比較的なんでも構いません。

とにかく、適当に物を置かないで、「こういう理由で置くんだ」と、そう考えておければいいです。

これなら物が多くてもすぐに実践できます。

 

基本的には、価値観を明確化させた上で、自分にとって必要なものを見定めていくのが恐らく正解です。でも、そこに至る前の橋渡しとして、今この瞬間部屋を整えたいというのなら、法則性を利用してみる方法もありますので、取り入れてみてはいかがでしょう。