ミニマリズムとはなんなのか。
ただ物を減らすことが果たしてそれなのか。
どうして物を減らすべきなのか。
物を捨てる前に、まずはそれを考えませんか。
ミニマリズムの到達点はどこでしょう。
「大事なものだけを残して、不必要なものは手放す。」これでしょう。
必要な物まで手放すことでは決してないはずです。
では必要な物をどう判断すべきなのでしょうか。
「1年使わなかったから」でしょうか。
「物としてではなくデータで持てるから」でしょうか。
違います。
「自分にとって重要ではないから」です。
自分には重要でないものだから、1年使わなかったのかもしれないし、データとして持ってれば良いのかもしれない。
でも、見失ってはいけないのは自分にとって重要かどうかです。
では、その判断はどうしたらつくのか。
それは価値観をはっきりさせることです。
自分の人生にとって何が本当に重要なのか。何を目指していきたいのか。
そうした価値観です。
つまりミニマリズムとは、価値観をはっきりさせたうえで成立するものであって、それ以前に成立するものではない。
価値観がはっきりしていない状態で物の取捨選択をするのはナンセンスです。
では、価値観をはっきりさせるにはどうしたらいいか。
人生経験を詰むしかありません。
といっても、ただ人生経験を詰んでも価値観は明らかになりませんので、定期的に「考える」事も必要になってきます。
ミニマリズムの本を読んだからといって、すぐにミニマリズムを体現できるわけないのです。
体現するには、長い時間をかけないといけない。
そう考えたときに、今やるべきは必ずしも「物を減らす」ではないのです。
むしろ「物を増やす」必要すらある。
なぜでしょうか。物を持たないと、居るか要らないかの判断ができないからです。
人の人生の大まかな流れはこうです。
まず真っ白なキャンパスとして生まれてくる。
どうしたら美しい絵になるかこの時は分かりません。
だからとにかく色を置いていきます。
必要な色がどれかわかるようになるまで、がむしゃらに色を集め続けてください。
つまり多くの経験と知恵を蓄えるのです。
それだけのエネルギーを若いうちは備えています。
そのエネルギーがあるうちにできるだけ多く集めるのです。
やがて、集めるのが大変になってきます。衰えですね。精神と肉体の衰え。
あらゆるものへの興味は薄れていき、体も思うように動かなくなっていきます。
大体40代辺りからでしょう。そこからは生き方を変えなければなりません。
集めたものの中からどれが自分というキャンパスの絵を美しいものにするのに必要か選んで、要らないものを捨てていくフェーズへの移行です。
たくさん集めて色んな事を知ったあなたなら、どれが本当に重要か分かるようになっているはずです。
取捨選択を繰り返すことで、絵はどんどん洗練されたものに変わっていきます。
やがて我々はその最終地点に到達します。
本当に自分にとって重要な物だけを残した状態です。
その状態をもって、ミニマリズムはようやく体現されることになります。
つまり、物を最初から持たないと決め込んでいたり、居るか要らないかよくわからないのにどんどん捨ててしまったり、そんな事をしていては、一生ミニマリズムの体現はできません。
年齢を重ね、手放すフェーズに入った人にとっては確かに手放す事がミニマリズムの手段足りうる。
しかし、まだ集め終わってない人にとっては集めていくことがその手段足りえます。
また、人生の切り替えが必要といいましたが、それは突然変わることではなく、実際にはゆるやかな切り替えです。
20代でもちょっとずつ取捨選択はしていきますし、60代でも細々と集めていきます。
どのフェーズでも「物を集める」がミニマリズムの一つの側面であることには変わりありません。