「話し合い」というのは一見平和的な解決手段のように思えます。
確かに、ケンカするのに比べれば圧倒的に平和でしょう。
暴言も暴力も伴わないですから。
正しく行えれば確かにそうなのです。
でも必ずしもそうはいかない。
話し合いに臨む人の性質次第で、それはとても不平等な物になりえます。
世の中には「口下手」といわれる人たちがいます。
自分のことだったり考えを、あまり言葉にできない、もしくはしない人たちですね。
彼らの人生において話し合いは大抵「ただ相手の意見を押し付けられるだけの場」となります。
一般的に「健全な話し合い」というのは自分の主張Aを述べ、相手の主張Bを聞き、それを踏まえたうえで二人が納得する折衷案Cを導くというものです。
(「どちらかの主張のみを採用すること」ではない点が重要ですね。)
でも口下手な人は、自分の主張をうまく相手に伝えられません。
それは、そもそも言葉にするのが苦手とか、人としゃべるときは緊張しちゃうとか、相手に遠慮して言えないとか、争いごとが苦手とか、理由は色々あるでしょう。
いずれにせよ、自分の主張をうまく伝えることが困難ですから、基本的には相手の主張がほぼそのまま採用される事になる。
本当は納得いってなくても、一般的には公平な手段とされる「話し合い」で決めた以上は納得したことにするしかない。
口下手にとって話し合いは不平等この上ないことなのです。
「それは自分の意見を主張しないその人の責任だろう」と突き放すことは可能でしょう。
確かに少しでも自己主張ができるようにと心がけることは必要だと思います。
そのほうがいくらか人生が快適になるはずです。
(お困りの方がいましたらアサーティブコミュニケーションについて調べてみてください。)
でも、ビジネスの場でならいざ知らず、日常での話し合いにおいて必ずしもそうするべきなのでしょうか。
私が今回「話し合い」をする相手として想定しているのは家族や恋人、友人といった関係の人たちです。
つまり大切にしたいと思っている相手です。
そんな相手に「言わなかったあなたが悪い」と言うべきなのでしょうか。
自分の主張が言えない彼らの背後には、ほとんどの場合、謙虚さがあるのだと思うのです。
「私が我慢することで、この人のためになるのなら」という。
そんな思いのもと仕舞い込まれてしまったその人の主張を、放置すべきなのでしょうか。
本当にその人を大切だと思うのならば拾ってあげたいと思いませんか。
相手の主張を待って、出てこなかったとき、それは自分の意見をそのまま通していいというサインではなく、「もっと相手の心に寄り添うことができるのだ」というチャンスなのかもしれません。