価値の形成と楽しみ方「80点のすすめ」

才能がある人にも彼らなりの苦労はあるのでしょうが、やはり羨ましいと思わざるを得ません。

よく美人が「私たちにも苦労はある」みたいなこと言いますが、見た目が悪いことの苦労のほうが多いですからね絶対に。そりゃ生きてりゃ嫌なことくらいあるでしょうが、客観的な幸福の総量はきっと美人なほうが多い。

才能がある人の苦労もきっと、何の才能もない不幸よりはマシなんだろうなと思います。

彼らの景色はどんなものなのだろうと想像してみるのですが、やはり一度は味わってみたいなんて感じちゃいますね。

例えばオリンピックで金メダルを獲得した人は、世界に「自分よりそれがうまい人」が0人という状況になるわけです。

承認欲求を満たす方法は数あれど、おそらくそれは至高の感覚の一つでしょう。

凡人がいくら頑張っても死ぬまで味わうことのない感覚です。羨ましい。

クラスで1番をたまたまとっちゃたときとか、あとはソシャゲ程度でもランキング上位になると嬉しいですからね。

その比じゃないでしょうが、とんでもなく脳汁が出るということは分かります。

 

 

ある分野で才能がある人のことを100点が取れる人と呼びましょう。

100点の人はそれだけで世の中に認められる。

彼らの才能は貴重で、それだけで価値を世の中に提供できるからです。

大谷翔平は恐らく野球で100点だし、マイケルジャクソンは歌と踊りで100点。

アインシュタインは物理学で100点だし、バフェットは投資で100点。

見た目が100点なら、芸能人やインフルエンサーとして世の中に価値を提供できる。

 

でも、お分かりのように100点を取れるのは才能のある人はほんの一握り。

凡人として生まれた多くの人はどんなに頑張っても90点くらいまでが関の山。

例え同じ努力をしても90点は決して超えられないというのは悲しい現実です。

 

じゃあ100点以外には価値が無いのかと言われると実はそんなことはない。

100点じゃなくても世の中に価値を生み出すことはできます。

 

あなたは100点はとれないかもしれないけど、もともと特別なオンリーワンなんだよとかそういう話ではありません。

凡人がとるべき価値形成の戦略という現実的な話です。

 

ある分野で90点を取れる人はごまんといます。

それだけ汎用ではその人に価値があるとは言えないかもしれない。

でもある分野と、また別の分野の両方で90点取れる人はといえば、かなり減ります。

少し価値が上がりました。

では3つの分野で90点なら。

もっともっと数が減り、価値もより上がります。

つまり多くの分野で90点を取り希少性を上げていけば、価値もどんどん上がっていくわけです。

そうして価値を上げていけば、やがて100点の人に匹敵する価値を手にれることさえ可能かもしれない

スポーツでメダルを獲得できなかった人がコメンテーターや指導者として、金メダルを取った人以上の活躍をしていたりなんてことはよくありますよね。

要はスポーツ90点、説明力や指導力90点という掛け算で価値が生まれているわけです。

 

凡人の戦略はこれにつきます。

 

でも結構な人が「100点は取れないな」つまり「才能がないな」と感じたとき、その分野へのモチベーションを下げてしまう。

90点にすら至らずにやめてしまうのです。

無駄だと思うからですね。その努力は実を結ばないと。

でもしょうがない。成果が期待できないことに対して人はモチベーションを保てるようにできてません。

ただ、実はその努力は無駄じゃないわけです。

一つでは無価値に思えた90点は、2つ以上取れば、下手すると100点を取るよりも大きな価値になりえる。

それを知っていればまず努力を途中で打ち切りにくくなるはずです。

また、実は80点でもいい。

凡人の限界値を90点みたいな語り口できましたが、100点ではなくとも限界値に到達するのは結構しんどいです。

90点を二つ取るのには結構な時間と労力が必要となります。

でも80点なら。「そこそこ人よりできる状態」「ある程度精通できた状態」。

それならば90点に比べ、かなり少ない労力かつ短期間で達成できます。

その80点をたくさん持ってれば、それもまた大きな価値になるのです。

おまけに80点を身に着けていく中で、90点まで行ってみようかなって思える楽しさ見つけられるかもしれないし、もしかしたら色々試す中で100点が取れる分野を見つけてしまうかもしれない。

80点を取りまくることは、実はめちゃくちゃ有意義なことかもしれません。

80点男(女)。聞こえは悪いかもしれませんが悪くない気がしませんか。