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幸せ(S)に(N)なりたい(N)ブログ(B)

ケンカではなく、話し合いを

日々穏やかに過ごしたいなと思っているタイプの人間ですが、私にも文句を言いたくなる時があります。

そういう時、自分はどんなつもりで文句を言おうとしているかというと、

「あなたのその行動で私はこういう不利益を被るのでやめてほしい」

そう伝えようとして文句を言っています。

ただ、これを伝えると基本的に相手は良い気がしません。

人から批判される事は全ての人にとって苦痛ですからね。仕方ない。

 

文句を言うことで、その場では自分の不快感は多少軽減されるかも知れませんが、その代わりに相手が不快感を得ます。

相手に不快感を渡している形ですね。

 

でも私はそれが嫌です。相手を不快な気分にさせたくない。

だから文句を言うのは極力控えています。

自分の不快は、考え方によって流すことが可能ですしね。

相手に不快感を渡すのも、自分で処理して流すのも、自分の中から不快感が無くなるという意味では一緒ですが、世界に残る不快感の総量は変わってきます。

相手に渡しただけでは、不快感は世界から無くならない。

それどころか、不快感を受け取った相手は感情に任せてそれを膨らませるかも知れません。

つまり、怒って言い争いやケンカになる可能性があるということです。

そうなればすごく疲れます。

しかもそうして膨らんだ不快感は後を引き、次回以降その人と顔を会わせるときも残り続け、その度に自分の心を消費させていく。

だからやはり、不快感が芽生えて文句を言いたくなってもよっぽどでない限りは相手には渡さず、自分の中でうまく処理した方がいい。そう思っていたんです。

 

一方で世の中には、文句を言うことでケンカになったり気まずくなったりしても、ちゃんと文句を言う人がいます。

私は、彼らは単にその場の感情に支配されて後のことを考えられなくなるから文句を言うんだ。そう思っていました。

もちろんほんとにそういう人もいます。気が短いタイプというか。大抵そういう人だったりしますけどね。

 

でもそうじゃない人もいるということに最近気づいた。

彼らは自分の文句が全体の利益に転換されると考えて文句を言っていました。

つまり「あなたのその行動はあなた自身を含めた皆の利益にならないから変えたほうがいい。」と。

そういう考えのもと文句を言うんですね。

 

私の場合「私が不満なので」と言うことを相手に伝えるのが文句だと思っていました。とても自己中心的な考え方です。

一方彼らは、「こうすれば私以外のあの人、もしくはあなた自身が不満を持たずに済むよ」と伝えるのです。

これは全体の利益を追求した考え方と言えます。

確かに、何か文句を言いたくなる時というのはある問題が生じたときであって、その問題は多くの場合、自分以外の人にも影響があったりするものですからね。もちろん自分も不満ですが、相手やもしくは第三者が不満に思っていることだってあるわけです。

というのであれば、仮に相手が不快感を持って後々めんどくさいことになったとしても、事態を好転させるために文句を言うべきだなと思えました。

 

ただ必ずしも、文句が全体の状況を好転させるとも限らないのでそこは注意ですね。浮かんだ不満が本当にただの自己中なもののことだってあるでしょうし、もしくは相手が単に加害性のあるヤバイ奴で文句を言ってもしょうがないとか、そんなこともあるでしょう。

 

自分が何か不満を持った時は「今文句を言うことは全体の利益になるのだろうか」といったん考えてから、胸に秘めるか伝えるか考えようと思います。

「どんな文句も伝えないほうがいいのではないか」と考えていたところに、「伝えてもいい文句があるのか」「そう伝えればケンカではなく話し合いにできるじゃないか」と、そう思えたことは大きな収穫でした。