「瞑想したって何も変わらない」という主張を見た。
それについて。
人の行動には二つある。
能力を発揮する行動。
能力を向上・維持する行動。
「向上・維持する行動」は、睡眠や良い食事、瞑想や運動、勉強や清潔感の維持など。
能力を発揮するために行う準備みたいなもので、これ自体に社会的な価値はない。
社会に貢献し価値を提供できるのは「発揮する行動」の方だ。
仕事をして対価をもらうとか、困っている仲間を助けて信用を増やすとか、そういう行動。
これをしないで「向上・維持する行動」だけしていても、それは何もしていないのとあまり変わらない。
「発揮する行動」を欠いてはいけないのだ。
だが「発揮する行動」だけに力を注いでいるとそれはそれで不具合が出てくる。
自分の普段から磨くことを怠って鈍らの状態ではポテンシャルを十分に発揮できないし、それどころか体を壊してしまったりもする。
そうならないためにも「向上・維持する行動」は重要で、これなくして「発揮する行動」は成り立たない。
どちらもバランスよく取り入れることが、上手く生きていくコツなのだ。
これらの行動はちゃんと区別しておかないといけない。
どちらの行動も同一視していると「向上・維する行動」をしただけで満足してしまうからだ。
要は瞑想しただけで何かをした気になったり、資格を取っただけで何かをした気になったり。
そういう状況に陥りかねない。
確かに他人からは見えない内側では変化が起きている。
メンタルや技能の向上がみられているはずだ。
自分の中では何かを得られているのだ。
だから誤解する。
だが、実際はまだ価値を作れていない。
瞑想しても、資格を取っても、傍から見れば別に何も変わっていないのだ。
「瞑想したって何も変わらない」とはそういうことで、「瞑想自体に効果がないよ」とか、「瞑想=「向上・維持する行動」が無意味だよ」というわけではない。
瞑想だけで何かやった気になっている人への警鐘であって、本当に大事な「発揮する行動」の準備としての瞑想を非難しているわけではない。
「準備は大事。でも準備だけで満足するなよ。」と。
実にありがたい警鐘である。