自分に甘い人。
彼らは自分を追い込むことができない。
なぜなのか。
追い込むことで、心の平穏が失われるのを恐れるからだ。
過去に自分を追い込んだ際、大きなダメージを受けた経験があり、再びそうなるのを恐れている。
自分に甘い人を見ると「みんなしんどくても、頑張っているんだよ」と。
そういいたくなるだろう。
ただ誰にでも、頑張れないしんどさというのは恐らく存在する。
絶望の淵に立たされて、再起不能になるようなしんどさ。
それは、身近な人との別れかもしれない。
取り返しのつかないような失敗かもしれない。
信頼していた人の裏切りかもしれない。
多くの人は、そういった挫折を乗り越えて、前に進むもの。
でも中には前に進めなくなる人もいる。
戦時中の強制収容所の話。
看守に連れていかれたきり戻ってこない顔見知りを毎日見ながら、いつ自分の番がくるかわからないという気が狂いそうな状況だ
そんな中でも最後まで生きることへの希望を失わなかった人もいれば、途中で希望を失い自分から命を絶つような人もいた。
何が言いたいのかと言えば、人の心の防御力というのは、人によって全く違うということだ。
どんな絶望的な状況でも耐え忍んだり跳ねのけることができる人もいれば、本当に些細なことでも立ち直れなくなる人もいる。
考え方を変えればある程度補うことはできるだろうが、根本的に解決するほどではない。
自分に甘い人というのは、怠け者に見えるかもしれないが、実際は心の防御力がすごく弱い人なのだ。
努力していないように見えても、本人は自分が壊れない範囲で頑張っている。
そういう人を、周りの基準を押し付けて追い込み過ぎると本当に壊れてしまう。
自分に甘い人の他の側面を見てみよう。
自分に甘い人は、他人にも甘い。
基本的に、人は自分の基準を相手にも当てはめる傾向がある。
自分がダメージを受けることは相手もダメージを受けるだろうと考える。
自分が嫌なことは人にしないというのが普通の心理だからして、自分に甘い人は、他人にも甘いのである。
これは「人に優しい」とも言い換えることができる。
他人が傷つくことに、鋭く気付ける。
だから人が傷つくことはしない。
傷ついた人には誰よりも共感できるから進んで手を差し伸べる。
人に寛容で、大抵のことは許してくれる。
自分に甘い人は、相手の些細な心の変化に気付き寄り添う力がある。
心の防御力が高い人はどうか。
大抵のことに心を乱されることはないから、人も同じだろうと考える。
だから自分が大丈夫であるなら、まさか人が傷つくはずもないだろうと行動できてしまう。
その度合いはその人の防御力の高さに比例する。
その極致にある人をサイコパスという。
心にダメージをうけて行動が変わってしまうということがないから、心の変化というのをそもそも行動するときに考慮しない。
何があっても行動は変わらず、情を感じて相手への対応が変わることもない。
極致がサイコパスという表現をされるだけで、彼らも社会において大きな役割を果たしているし、そもそも防御力が高いことが悪いわけはない。
誰もが同じ心の強さではない。
相手の強さを見極めて、どう接するべきかを考えたい。